私事ですが、はじめての子供が1月18日に生まれました。名前を凪(ナギ)と言います。世間にとっては取るに足らないニュースでしょうが、我が家にとってはこれ以上ない嬉しいニュースなのです。つらつらと所感を書いても仕方ないので、いつか彼がこのポストを読むことを想定して彼への書簡を書こうと(ちょっと恥ずかしいけど)思います。


凪へ。

キミが今これを読んでいるということは、漢字が難なく読めるようになっているはずなので、少なくとも小学校は卒業したということですね。もしかしてもうオッサンになっているのかしら。ともあれ月日が経つのは早いものです。僕が今実際この文章を書いているのはキミが生まれてから約二週間が経った2018年1月31日の夜です。コタツに入ってMacbookと呼ばれるコンピュータのキーボードを操作してこの文章を書いています。横ではキミがスヤスヤ、コキャッ、フヌーッという感じで寝息を立てています。古い石油ストーブが部屋を暖めてくれていて、その奥では祐子さんが布団に入って寝ています。外はきびしい寒さですが、家のなかはとても平和で穏やかな夜です。


この文章を書こうと思ったのは、いつの日かキミにこれを見つけて読んで欲しいからです。(あとは十数年後にキミが反抗期になったときにこれを僕が読めば少しは精神安定に役に立つかもしれないと思ったからです。)そしてキミの誕生が僕達夫婦にとってどれだけの意味を持っているのかを分かって欲しいからです。自分の手帳にペンで書いてもよかったのですが、無くしてしまったり忘れてしまったりすると困るので、こういう形で文章にすることを選びました。20歳の誕生日とかに父親から昔使っていた手帳を渡されるのはちょっと気味が悪いでしょうから、偶然キミがこの文章を見つけることを願っています。キミがこれを読んでいる時代には思いを伝えるもっと優れた方法があるかもしれないけれど、2018年時点ではキーボードを操作して文章を入力して、それをワールドワイドウェブのほぼ無限の空間に投げ込むことが流行っていたのです。キミにとっては古臭いやり方かもね。まぁそう言うなよ。


キミが生まれたのは2018年1月18日の15時40分です。場所は高松赤十字病院南館6階分娩室。予定日は二週間以上先なのに、祐子さんはその日の夜明け前から陣痛が来ていて、6時半頃に救急艇を呼ぶことになりました。祐子さんは陣痛の痛みを紛らすべく彼女にとっての精神安定剤である洗濯を暗いうちから実施していましたが、洗濯物を干し終わることなくグロッキー状態に。洗濯を途中で投げ出す彼女を見たことがない僕は、その時にこの日訪れる大いなる運命を引き受ける覚悟ができました。

初めて乗る救急艇(その名を「せとのあかり」と言います)はとても優雅にかつスピーディに海の上を滑り行き、ものの10分ほどで高松の港に着いたように感じました。港から見えた朝焼けが美しくて僕はこの時点ですでに若干ウルッと来てしまいました。その日は冬にしては珍しく暖かい日で海が穏やかに凪いでいたことには後から気づきました。じつはキミが生まれる前日には1月には珍しい霧が出て船を出すことができなかったし、キミが生まれた次の日は強く風が吹いて大変だったのです。ナイスなタイミングでやってきたのです、キミは。

病院では祐子さんが陣痛に苦しむことになるのですが、終わってみればいわゆる安産というやつで、15時40分に2640gの元気な男の子が出てきました。そう、キミです。分娩室での立ち会いを許された僕は祐子さんの枕元に立ち、彼女の応援と共感に徹しました。断言しますが、あんなに頑張る祐子さんを見たのはキミの誕生が初めてです。痛みに耐えて頑張る彼女の姿に僕は打ちのめされてしまって、ちょっと顔を上向きにしておかないと涙がこぼれそうでした。分娩室に入ってからは早いもので、15分ほどというスピーディさでキミが出てきました。キミの姿を初めて見た僕の頭をよぎったのは「思った以上に赤いな」ってことでした。可愛いとかよりも、色とテクスチャーにまずびっくり。夫は気楽なものなのです。


これが今から二週間前に起きたことです。キミの誕生を機に祐子さんと僕の関係も変化を余儀なくされることでしょう。これまでは仲良しカップルでよかったのですが、これからはキミを育てるうえで欠かすことのできないパートナーになるわけです。キミがこれを読んでいる時には二人とも健在でハッピーなら良いのですが、こればっかりは予想ができません。もちろん努力は惜しまないつもりですけど。

僕自身もどんどん変わっていきます。子供ができたことによる責任というやつもあるでしょうし、時間の使い方や安全管理や家族を取り巻く環境への考え方は大きく変わることでしょう。独身時代や夫婦二人の時に楽しかったことをするのを今ではもう難しいのかもしれません。でもまぁそれでいいのです。その時その時で楽しめることを見つければいいのですし、変化はポジティブに捉えたいと思います。今はキミと過ごすのが楽しいですし、キミがもう少し大きくなったら色んな遊びをしたり、色んなところに行ったりしたいです。僕はもう若者からオジさんになってしまいましたが、オジさんにはオジさんなりの楽しいことがあって、それは若者の時にはできなかったりするのです。

さて、今これを読んでいるキミはどういう状況なんでしょうか。ハッピーなら良いのですが。僕がキミのことを幸せにできるならいいのですが、いかんせんそういうわけにはいきません。僕とキミは親子ではあるけれども、生きている時代が違いますし、考え方が違うはずですし、あいにく僕は先行き短い身です。僕の人生で有効性が高いと思われた要素がそのままキミが生きるうえでの手助けにはきっとならないでしょう。ちょっと冷たいと思うかもしれませんけどね。幸せはひとりでに歩いてくるわけではない、というのはこの世の数少ない真理の一つです。

僕がキミにできることは、「背中を見せること」に尽きます。言い換えると、キミが自然と成長するような環境を整えることです。それ以上僕ができることはありません。僕はキミの成長の間接的な手助けしかできないでしょう。僕とふれ合う時間がキミにとっての「気づき」に満ちた時間であったなら、それは僕にとって至上の喜びです。どうでしょうか、僕は父親としてうまくやれていますか?

キミの名前、「凪」については祐子さんとたくさんたくさん話し合いました。祐子さんか僕から一文字取ることや、他の名前も色々考えたんですが、最終的には二人とも「やっぱ凪よね」と、結構すんなり決まりました。

由来は第一にはもちろんキミの生まれたこの瀬戸内という環境です。キミが今世界のどこにいるかは知るよしもありませんが、美しく凪いだ海を抱くこの地域でこの島で生まれたことをいつも思い出してほしいと思います。

そして凪は船の発着を容易にします。陸で休息をとった者が再び海原へ繰り出す契機になる一方、時化で疲弊した者を優しく癒すこともできるものです。そんなふうにキミがそこにいることによって周りの人々がハッピーになれば素敵だなと考えました。とはいえここら辺は親の欲張りなところなので、適当で大丈夫です。

もっと大事なのは、いつだって一度立ち止まる勇気をもってほしいということです。一昨日僕は祖母にキミの名前が決まったというメールを書きました。そのメールの末尾でキミの名前に込めた願いを書いたのでここに転載しておきます。

The world is changing so fast. The speed of the change is getting faster and faster. I want him to slow down and think deeply about himself and where he should go and what he should do.

今世界は凄いスピードで変化していて、その速度は速くなる一方でとどまるところ知らないよね。そんな世界だからこそ、僕は彼には落ち着いて時間を取って欲しいし、深く考える人になって欲しいんだ。自分自身について、そしてどこへ行くべきか、何をするべきかについて。

知っているかもしれませんが、僕は映画が大好きです。キミも好きだとしたら多分それは僕の影響がちょっとはあると考えてくれていいです。フェリーニという映画監督が作った“8 1/2”という有名な映画があるんですけど、見たことありますか?人生のままならなさをモチーフにしたようなナンセンスなやり取りが延々と繰り返されていく作品なんですが、最後のシーンで主人公が奥さんに言うセリフをここで引用して、この書簡を終えたいと思います。

人生はお祭りだ。一緒に過ごそうじゃないか。

キミが生まれてきて、僕は本当に嬉しいです。もしも幸運にもこれを読んでいるキミのすぐ近くに僕がいるなら、そっと近づいてハグしてみたらいいと思います。


いつも心に凪いだ海を。

愛を込めて。

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