男木島には図書館があります。その名も男木島図書館。ここは私がこの島に来る人に欠かさずオススメするスポットです。
ダモンテ商会よりもはるかに有名なこの図書館のことを知らない人はこのブログの読者にはあんまりいないと思うので、細かい紹介は割愛して、今日は私達夫婦と図書館とのことを書いてみようと思います。
図書館との出会い
私達の男木島図書館との出会いは、そのまま私達の男木島との出会いでもあります。そう、あれは2016年の春。自分達の次なる拠点を探してあちこちまわって車でキャンプ生活していた頃。私達は瀬戸内地域にたどり着いて、瀬戸内国際芸術祭というものを知り、「乗るっきゃない、このビッグウェーブに!」という具合で波一つない穏やかな海を渡っていくつかの島に遊びに行きました。
その島のひとつが男木島です。たまたまフェリーの乗り放題チケットが1日分余ったので、高松からすぐ行ける女木と男木に行ってみようというのがきっかけでした。
当時の写真を見てみると、男木島に初上陸したのは3月22日の14時40分頃のようです。男木島発の最終便(17時発)に飛び乗ったのは覚えているので、男木島滞在時間は正味2時間20分ということです。
なぜ最終便に飛び乗ることになったのかというと、時間ぎりぎりまでこの島の図書館にいることになったからです。はじめは図書館のこともほとんど知らずに、ちらっとiPhoneで調べて「小さい島なのに図書館があるんだってー」ぐらいしか知識がなかったので、とくに図書館を探してすらいませんでした。
だいたい2時間でめぼしいアート作品を見終わった私達は港に向かって歩いていました。出航時間まであと25分ほどという微妙な時間帯。攻めるか守るか。となると攻めるしかないでしょ。どうせならギリギリの時間まで島を満喫しようということで、狭い路地を探検気分で歩いて行きました。なんかこういうのにワクワクするのです、ワタクシ。
するとそこに(とくに探していなかった)男木島図書館の看板を発見。思いっきり「閉館日」と書いていましたが、まぁとりあえず見に行こうぜと庭先まで行くと、なかで図書館員と思わしき人々が(のんびりと)働いている様子。声をかけると閉館日にもかかわらず温かく(いい感じのほったらかし具合で)出迎えてくれました。
それが私達と男木島図書館との出会いです。
図書館の活用術
男木島図書館はその立地や建設の経緯がメディアなどで取り上げられることが多いのですが、実はその本質は活用方法の奥深さと幅広さにあると私は考えています。残念ながら(?)この図書館を存分に味わうためにはこの島の住人になるほかありません。「最終便が出た後」という外の人からすると無理ゲーとしか感じられない時間からのイベントがしばしばあるからです。
私設とはいえもちろん図書館なので、蔵書の管理、寄贈本の受付、本の貸し出し、読書スペースの提供のようないわば通常のサービスはもちろん普通にあります。その他、読み聞かせ会やトークショー、演奏会といった各種イベントも色々やっています。まぁこれぐらいは最近のちょっとイケてる図書館ならやってるかもしれません。
じゃあそのイケてる図書館には移住者相談窓口が設置されていますか?薪ストーブはどうでしょう?庭に屋台はありますか?その庭で餅つき会をやりますか?勤労感謝の日に麻雀大会を開催しますか?子供と大人が入り交じった人狼ゲームを執り行いますか?じゃりン子チエ鑑賞会を夜中に開きますか?屋根を直すためにクラウドファウンディングに挑みますか?
これら全てが男木島図書館で実際に起こっているのです。英語で言うとEverything you can imagine is happening in the library.という感じですね。
なぜこのような自由な活動が可能なのか、そしてなぜそれを実際にしているのかというと、やはり理事長と彼女を支える夫という二人の存在が欠かせません。IT畑で著名なデザイナーでありつつ文筆・写真に明るい額賀順子理事長、島の顔役で面倒見が良く会社経営も料理も上手な福井大和氏。うーん、ちょうど良い。彼ら以外にこの図書館を開館・運営できる人などあり得ないということは明言できます。私達夫婦が利用者の第1号となった移住相談窓口も、この夫婦だからこそ提供できるサービスそのものだと思います。
さて、図書館がもつ機能とは何でしょう。いくつか考え方はあるでしょうが「文化を時間的・空間的にアーカイブして交差させること」という理解の仕方があると私は思います。蔵書数という点だけでみると小さな町の図書館にすら及ばないこの図書館ですが、そこで蓄積・交差する情報の数と密度はなかなかのものがあると思います。私はsomethingを求めて図書館の扉を開けます。それはまだ読んだことない本かもしれないし、人との会話かもしれないし、薪ストーブの温もりかもしれないし、美味しいカレーかもしれません。たとえその時そのsomethingを言語化できていなくても、その扉を開けさえすればきっとそれは満たされるのです。
そう考えると、たとえこの図書館の蔵書数が半減しようともこの図書館がもつ魅力はそこまで減衰することはないとも言えます。あくまで図書館ではあるけれど、本は重要な役者の一人に過ぎないからです。もっとも大切なことは、そこに図書館が存在していること、そして誰かがそこにいることなのです。
島に図書館があるということ
正直、最初は「こんな小さな島でわざわざ図書館を開くなんて!!」(←褒め言葉)と思いました。図書館みたいな直接何かの役には立たないものをこんなところに作るなんてcrazyだと思いますし、だからこそ最高に面白いと思うのです。小さな離島に住もうってときに、コンビニでもなく、スーパーでもなく、病院でもなく、工場でもなく、図書館を作るとは。これを「粋」って言うんだと思います。
そもそも人生を彩るものって大抵ムダで何の役にも立たないものです。映画も音楽もファッションもサッカーも観葉植物も全部ムダです。なくても世界は終わりません。でもそれらのムダを排除した世界は無味乾燥なディストピアに近づいていくように思います。逆説的に聞こえるでしょうが、人生に必要不可欠じゃないものこそ人生に必要なのだと私は信じています。それらは要不要で語られる対象ではないからこそ美しいのです。
私の好きな哲学者、國分功一郎は著書『暇と退屈の倫理学』のなかで、かのウィリアム・モリスの名言を引用しています。
「わたしたちはパンだけでなく、バラも求めよう。
生きることはバラで飾られねばならない」
図書館の未来
先日NHKで丹下健三のドキュメンタリーを放送しており、そこで彼の言葉として「建築とは、それまでには存在しなかった新しい現実を創り出すことである」という表現がありました(ニュアンスはこんな感じ。ネットで調べてもヒットしないので夢だったのかもしれない)。
この言葉は男木島図書館のことを言っているのかと思うぐらいシックリ来ます。この建物がこういう形でここに存在していなかったら、そこそこの数の人間が今と全く異なる現実を生きていたのだと確信できます。
私にはこの図書館の未来も島の未来も全く分かりません。一般的には日本は人口減少の真っ只中にあるわけで、そういう意味では前途は明るいとは決して言えないでしょう。
ただ、その光り輝いてはいない未来に向かって日々をどのような顔で歩んでいくのかを選ぶことはできるように思います。きっとこの図書館にいる人々は眉間にあまりシワが寄らないような道を進んでいくことでしょう。それは困難を避ける安易な道を歩んでいるのではなく、おそらく自分たち自身の手で道を選び取っているという自由を実感しているからです。そしてその道をゆく彼らの手の中には、小さいけれど光り輝くものがきっと残されているように思うのです。
私はもう少しの間、この場に幸運にして生まれた「それまでには存在しなかった新しい現実」に付き合って行き先を見守りたいと思います。
https://readyfor.jp/projects/ogijimalibrary-roof
さて、私もそろそろ支援をしましょうかね。はい、恥ずかしながらこれだけ言ってて実はまだ支援していなかったのです。げ、「ログインが必要です」って書いてある。。。。えーと、どれどれ。。。。