男木島にたどり着いたところまでが前回の内容。
今回はなぜ男木島に決めたのかという核心部分を書こうと思います。
なぜ男木島に移住したのか。
「特徴的な町並み」「雄大な自然」「離島のわりに意外と街に近い」「格安の生活費」などの要素は確かに重要ではあります。しかし、これらの要素を満たす場所は日本国内だけでもごまんとあるでしょう。ですので、これらの要素の積み重ねだけでは決め手にはなり得ません。
高松市は移住者誘致/定住促進にそこまで熱心な自治体ではない(としか思えない)ため、他の地方でみられるような「あそこに引っ越せば得する」というようなものが決め手になったわけでもありません。個人的な所感を言わせてもらうと、自分の住むところは「損得」といった経済的側面から語られるべきものではないように思いますし、「得」を求めて引っ越してきた消費者マインドたっぷりの人々がその地でステキな関係を醸成できるようにはとても思えません。
これらの外的要素でないとすれば、何が私達夫婦を男木島へと導いたのか。
身も蓋もない言い方をすれば、それは「偶然」であると私は考えています。
偶然がたくさん起こる島
この島では不思議なことに「偶然」がたくさん起こります。
初めて訪れたときには、道を歩いていたら私設図書館があったり、その日は閉館日なのに中に招いてもらったり、その図書館が移住者相談窓口を設けていたり、「引っ越してくれば?」と気軽に言われたりしました。
2回目3回目に訪れたときには、島の他の移住者たちがたくさん集まる夜があったり、新しくできた小学校の入学式に参列したり、フランス人の耕す畑をみんなで見に行ったりしました。
引っ越してきてからは、島内で特Aクラスというキレイな家を格安で貸してもらったり、道を歩いているだけで野菜を山ほどもらったり、家から徒歩10秒の大きな畑を二つ返事で貸してもらったりしています。
他にも枚挙にいとまがありませんが、全て「偶然」です。
「偶然」を生み出す背景
私の見方では、この偶然を高確率で生み出しているメカニズムは「コンパクトな空間」と「オープンな精神」によって支えられていると考えています。島全体がコンパクトで集落はさらにコンパクトなので、人口は200人にも満たないはずなのに道を歩けばだいたい誰かに出くわします。全員が顔見知りというのもあって、皆さんとても面倒見が良く、助け合い精神が大樹のごとく根付いています。引っ越してきたその日に段ボール箱を持って階段を上がっていると、腰の曲がったお婆ちゃん3人ぐらいから「手伝ってやる」と言われ、箱を奪い取られてしまいました。私はお婆ちゃんの元気さと世話好きのすさまじさに驚かされると同時に、この島に引っ越してきて良かったなと改めて思いました。
大工道具や農機具の貸し借りも頻繁で、私の家や庭にはご近所に借りたものや誰のものかよく分からないものがたくさん転がっています。家のことでも畑のことでも、いつでも何でも相談できる人達がまわりにあふれているのは本当に心強いものです。先日、家の水道管が故障して水道が使えなくなった時も、まず電話したのは水道屋さんではなくて、仲良しの島の漁師さんでした。電話をしてから30分後には水道が復旧したことを思うと、島を「不便」な場所と単純に捉える考えは改める必要がありそうです。
田舎によく見られるような詮索や監視みたいなネガティブなこともここでは全く見られません。むしろ、お互い名前も知らない私とおばあちゃんが道ですれ違いざまに冗談を言い合ったりするのも日常茶飯事だし、「家にたくさん家具や道具が余っているからもらいに来てくれ」と頼まれることも珍しくありません。その人がもつ背景などにはあまり執着せず、助けを求められればすぐに応じるようなオープンさがここには共有されていると思います。
このようにこの島では「コンパクトな空間」と「オープンな精神」が両輪のようにうまく機能することで、心地の良い「偶然」を生み出しているのだと思います。移住者同士もこの偶然の輪のなかにすっぽりと入っていて、みんなが日常を楽しんで過ごしているように私には見えます。この移住者同士のネットワークも私達にとって非常に重要なもので(そのうち人の焦点をあてたポストを書くと思います)、彼らがいなければおそらく私達はここには来ていないと断言できます。
こういったもの全てが私達夫婦がこの島に移住した理由と言えます。
つまり単純じゃないのです。
私もうまく説明できないのですが、とにかくいきなり質問されて、即答できるような類のものでないことさえ分かってもらえれば満足です。